【かね又 天六店】大阪:天六

PAPUA

2023年01月03日 11:08



シチューうどんの元祖「かね又」の最後の砦の天六店がこの秋、創業77年の幕を下ろしていました。

【かね又】天六店

◆2022年9月30日(金)

77年間の歴史を残して、ひっそりと閉店されました。
お疲れさまでした。





◆2009年06月19日(金)

【蘇れ!大阪シチューうどん】

 今回は、「かね又」に出向いて織田作之助の話を聞かせていただいた。
下記の作品の中に「かね又」が出てきます。

『アド・バルーン』織田作之助の作品から

私の文子に対する気持は世間でいう恋というものでしたろうか。
それとも、たんなるあこがれ、ほのかな懐なつかしさ、そういったものでしたろうか。
いや、少年時代のたわいない気持のせんさくなどどうでもよろしい。
が、とにかく、そのことがあってから、私は奉公を怠けだした。
――というと、あるいは半分ぐらい嘘になるかもしれない。
そんなことがなくても、そろそろ怠け癖がついているのです。
使いに行けば油を売る。鰻谷うなぎだにの汁屋の表に自転車を置いて汁を飲んで帰る。
出入でいり橋の金つばの立食いをする。
かね又という牛めし屋へ「芋ぬき」というシチューを食べに行く。
かね又は新世界にも千日前にも松島にも福島にもあったが、全部行きました。
が、こんな食気よりも私をひきつけたものはやはり夜店の灯です。
あのアセチリン瓦斯ガスの匂いと青い灯。プロマイド屋の飾窓かざりまどに反射する六十燭光の眩まばゆい灯。
易者の屋台の上にちょぼんと置かれている提灯ちょうちんの灯。それから橋のたもとの暗がりに出ている螢売の螢火の瞬またたき……。
私の夢はいつもそうした灯の周りに暈かさとなってぐるぐると廻るのです。
私は一と六の日ごとに平野町に夜店が出る灯ともしころになると、そわそわとして、そして店を抜けだすのでした。
それから、あの新世界の通天閣の灯。
ライオンハミガキの広告灯が赤になり青になり黄に変って点滅するあの南の夜空は、
私の胸を悩ましく揺ぶり、私はえらくなって文子と結婚しなければならぬと、
中等商業の講義録をひもとくのだったが、私の想いはすぐ講義録を遠くはなれて、
どこかで聞えている大正琴に誘われながら、灯の空にあこがれ、さまようのでした。

特製シチュー(¥300)
特製シチューうどん(¥500)









牛骨ベース、玉ねぎ、牛バラ肉の入ったボルシチ風のシチューはロシア人船員から伝授されたと言う。
「かね又」本店では、昭和初期にこのシチューを始めていたようだ。
カレールーを入れる前に塩だけで味付けしたシンプルな味わいだが、中々真似出来ない逸品。
戦後、新世界の「あづま」や「いずみ」等の食堂でも始まりましたが、これも今や、「あづま」だけになってます。
牛スジ肉を上手く使ってますね。
今や、この二軒だけになった大阪のシチューうどんをもう一度身近に探りませんか?
昔は大阪市西区九条の松島遊郭近くに本店があり、
市内に二十数店舗の支店があったらしい(京都を含めると三十店?あった。大阪人)が、現在はこちらだけが残っています。


◆2006年12月1日(金)

「シチューうどん」


 



 シチューうどんを続けている「かね又」は住宅街の中にあります。
最近ではこの辺りの長屋が人気でブティックやBARに変身しているらしい。
 元々ロシアの船員さんが伝えたらしい。

シチューうどん400円。

【かね又 天六店】
大阪府大阪市北区黒崎町12-15
9:00~18:00
(休)日曜日・祝日
特製シチュー(¥300)
特製シチューうどん(¥500)
(1945年にOPEN!)




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