2023年10月06日
【総本家 更科】大阪:新世界
【総本家 更科】
◆2014年(平成27年)11月1日(土)
『けいらん蕎麦』
創業104年の老舗。広い客席でゆったりのんびり出来ます。
先ずはビンビールと焼き鳥を注文。
旅に出た様な錯覚さえ覚える。静かな時が流れます。
暫くビールを楽しんでから『けいらんを蕎麦で・・・』と注文。
更科の白い蕎麦にあんかけ卵とじ、そして、たまごの合間にコリッとしたキクラゲがまた良いですね。
ほっこり温まり、さあ、あべのまで歩きましょうか?
◆2007年(平成19年)5月17日(木)
昨夜、訪れたのは新世界本通りにある「総本家 更科」です。
明治40年創業の蕎麦うどんの老舗です。
東京の更科とは繋がりが有るようで無い様で、これはひとまず置いといて、以前に撮った写真が「きつね」でなく「きざみ」だったので再度確認に行きましたが、やはり「きざみ」しかありませんでした。
そこで今回は「きつね(きざみ)あんかけうどん」 にしました。
何と「キクラゲ」どっさり入っています。「キクラゲ」を除けば、ほぼ京都の「たぬきうどん」かな?
さて、本日の昼には新店「芦屋 あんかけや」堀江店に出掛けました。こちらの「あんかけきつねうどん」は甘揚げがきざまれずに二枚乗っています。
野菜や半熟煮玉子も入って栄養価が高く感じられましたが何せ暑い!思考する気力が失せて来た。何をしようとしたのだろか?
◆2005年(平成17年)1月10日(月)成人の日
「高津宮とんど祭り」
「大天徳」
「今宮戎」
「大天徳」
「武山治療院」
「更科」創業百余年
「松ちゃん」
と渡り歩いたのですが久しぶりに通天閣の下を歩き総本家「更科」にも行って来ました。
ひょっとしたら「中華そば」があったかもしれないと言うええかげんな、思いは無尽にも消えましたが美味しい「きざみきつねうどん」をいただき、小ビールもおまけしました。
とにかく、正月よりも飲みすぎた。
写真は左から
「とんど祭りの食べ残し?」
「今宮戎にて某パチンコ店のお参り!」
「きざみきつね@更科」
◆1984年」(昭和59年)10月1日
「すなば物語」
「砂場」と言うと大阪市西区新町付近にあった元々大阪城築城に辺り建設資材の砂、砂利の蓄積場が設けられたのが「新町砂場」の発祥である。
その後大阪最古の花街「新町新地」が出来て蕎麦屋が活性化したと言う。
堀江にあった蕎麦屋「ふじよし本店」の大将「藤原日出彦」さんからいただいた本です。
1984年昭和59年10月1日の発行となっています。
内容は大阪に「蕎麦屋が出来て400年」と言う「大阪城築城400年」と重なる歴史を「大阪から蕎麦文化が江戸に伝わって行った事実」を衝撃的に知り得た事だった。
この本を編集するに辺り発起人として老舗の蕎麦屋が集まっている。
中々こう言う資料は無いので書き留めておきたい。
残念な事に故人となられた方々や既に閉じられたお店もあります。
「うわっ!」と思ったのが「老松町更科」の勘田登喜雄さんと言えば「なにわ翁」の勘田拓志さんの親父さんですね~!
昭和6年に中央区難波で創業され、昭和26年に老松通りに移転されています。
記 (五十音順・敬称略)
【大阪】
飯塚末治(堀江更科)
今井清三(道頓堀今井)
宇佐美辰一(松葉家本舗)
大江弘剛(世起)
大橋博之(民芸そば・しのぶ庵)
籠谷利一(淀屋橋三十石)
勘田登喜雄(老松町更科)
薩摩卯一(美々卯)
品川信康(天下茶屋深川)
甚田長次郎(北新地更科)
重里清義(すし半中店)
杉林義男(衣笠)
瀬川美夫(力餅)
武田知之(そばよし)
巽 正男(吾妻)
谷 正則(御堂蕎麦)
辻川恭寛(三十石)
坪内広次(やなぎ)
東条利通(やまがそば)
永幡泰男(家族亭)
西 順子(総本家浪花そば)
橋 隆信(清覚)
林 芳一(瓢亭)
広橋重幸(平和食堂)
藤原日出彦(ふじよし)
堀奈良三郎(道頓堀更科)
本多高四(浪花)
峰久 忠(美松)
毛受辰人(更科総本家)
望月興博(蕎麦博)
森田年明(深川総本店)
山本重太郎(風流田舎そば)
【東京】
萩原長昭(砂場会会長・巴町砂場)
稲垣隆一(砂場会副会長・琴平町砂場)
【製粉会社】
奥田米仏門(信濃屋そば製粉)
北村 勇(大阪そば製粉)
小西武雄(綿利そば製粉)
戸嶋鶴治(そばこや戸嶋製粉)
益田昭一(益田屋そば製粉)
以上
【総本家 更科】
06-6643-6051
大阪府大阪市浪速区恵美須東1-17-10
10:30~21:00
(休)金曜日(祝日の場合は前日)
40席
1907年に創業