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2020年06月05日

【私にとっての尾道ラーメン】



【私にとっての尾道ラーメン】
ラーメンの食べ歩きを始めた頃に、心斎橋の「尾道ラーメン めんくい」西長堀の「尾道ラーメン十六番」に良く行った。
その後、寿司屋を止めて始めた「尾道ラーメン山長」は現在の店に移転される前にも良く通いました。何せ長谷部さんと言う名前からひょっとしたら、尾道のご出身ですかと聞いたら、ご主人が何故わかったのですかと言われて、「はせべ製麺」の話をしたら、親戚だった。現在のご主人は当時のご主人の娘さんになります。
店が終わってから第5回:関西望麺会「讃岐料理 讃」の二次会「フレンチレストラン YOKOO」にも親娘で参加していただきました。
麺哲の庄司さんが熊五郎でJR福島駅近くに出来た「らーめん つけ麺 五郎ヱ門」の店長をしていた時であり、急遽三次会として朝方まで話込んだのを思い出しました。

仕事の出張で尾道では、朱華園、つたふじに寄りましたが、徐々に笠岡、福山、岡山に行く事が多くなりました。特に「朱華楼」東深津店はお気に入りの尾道ラーメンとなった。16時までの通し営業も出張時はありがたかったです。

その頃「スルッと関西」から「ミステリーラーメンバスツアー」の企画を依頼された時、福山市の南にある鞆の浦の「潮待茶屋」の衣笠さんが、鯛塩ラーメンを始めたので、頼み込んだ。和室だが、人数も入れるし元フレンチ料理人でもあり、関西ではその当時無かった創作ラーメンでした。

そして、休憩を兼ねて「阿藻珍味」を見学。こちらでは、鯛ちくわの手作り経験や、尾道ラーメン、魚介のおかず、酒の肴などのお土産販売もしています。自社製の尾道ラーメンも食べられました。結構気に入って、取り寄せしたものです。
鞆の浦では、他に「おてび」と言う昼から飲める料理屋で〆にいただく中華そばも中々良かったです。
さて、少しお腹も空いた所で帰ります。と鞆の浦を後にして大阪に戻ると見せかけて、お隣りの笠岡にバスは進みます。そして三洋旅館に到着すると、偶然にも瀬戸内テレビ、RSK山陽放送が取材に入っていて、大阪からも数人の麺友が食べに来てました。
こちらで、笠岡中華そばを満喫して、神戸、大阪に戻りました。
中々情緒あるバス旅でしたので、この後、新幹線と路線バスを使って1泊2日にて倉敷をプラスして、ご近所さん家族15人で同じルートを2か月後にも伺いました。まだボンネットバスは週末には走っているのかな?



お取寄せの尾道ラーメンを食べると、坂の多い尾道の街や、風呂屋がそのままカフェになってる商店街の店などが懐かしく浮かんで来ます。尾道で一番古いラーメン店「みやぢ」で食べた天ぷら中華。鞆の浦の郵便ポスト。笠岡のお多津で食べた天ぷら、栄清丸の舌平目の煮付けなど、またまた行きたくなりました。



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